恵々日々

文であること。

幸せになりたくない

 

幸せになりたくないんですよね。

いや、嘘です。なりたいです、めちゃくちゃ。

でもなりたくないんですよね、これがもうめっちゃくちゃ。

 

そんなことをいつもまでも考えているわけにもいかないな、と思って一度真剣に考えてみたところ何となくの結論のようなもの、

自分は「幸せになりたいと願っていたい」のだというところに落ち着きました。

 

これを言語化している人が他にいないだろうか、とぼんやり考えていたところ、アルバイト先の社員さんに本を借りました。

アルケミスト - 夢を旅した少年パウロ・コエーリョ

普段は翻訳が鬱陶しくて、海外文学は読まないのですが本は人との出会いに近しいものがあります。いつものように書店で本を探すのが婚活パーティーだとすると今回は知り合いの紹介でデートすることになった可愛いらしいが不思議な雰囲気を持った女の子って感じでした。喩えておいてなんですが、マジでそういうことってあってほしいですよね。突然現れて人類の敵を倒す力をくれる美少女とか

 

はい。この本は羊飼いの少年サンチャゴがとある王様と”前兆”に導かれて宝物探しの旅に出るお話です。その旅路の中でひっそりとクリスタルショップを営む商人と知り合い、1年近くそこで働くことになります。長年の羊飼いとしての経験や若い目線と行動力により寂れた店は次第に活気づいていきます。そしてある時、商人が少年にぽろりと自分の夢の話をしました。その夢は今や商人が望めば手に入るほどで、宝物を目指す少年は「何故夢を叶えようとしないのですか」と問い詰めます。そして対話の末、商人は「夢を叶えたいのではない、私は夢を見ていたいのだ」と結論づけるのです。

 

作中でこのくだりは、特に読者にとってはあまり重要ではありません。むしろ、困難に立ち向かい時に絶望しつつも夢を追う少年の対比となって描かれてるとすら思います。

しかし小林は「うわ~~~~~~これこれ~~~~~~~!!!!!」となりました。「これこれそうそう~~~~~!!!!」「わかるわかるまってやだ~~~~~~!!!!!!」「やばいんだけど~~~~~~え、今度のみいこ~~~~~~絶対だよ~~~~~~約束~~~~!!!!!」です。それはいかないやつじゃんか

 

幸せも夢も、良く言う話、満足してしまったらそこで終わりになっちゃうんですよね。

絵とか、歌とか、生き方とか。日に日に人と会うのが嫌になります。だって大抵楽しいんですよ。自分と同じように自我を持った他人が何十何百何万人いるんですから、面白くないわけない話で、簡単に幸せになっちゃうんですよね。面白おかしく生きてる小林でもころっとその気持ちよさに寝転がってしまいそうになります。いつか幸せを願っていたいあまり幸せから逃げてしまいそうなことも怖いです。もう既に逃げてるのかもしれません。ああ~、幸せになりてえ~~~。