恵々日々

文であること。

不良女子高生を買った。1時間につき、1万円だそうだ。

 

プロローグ

 

仕事に行き詰まると、決まって俺はベランダで少し高い煙草を吸う。その日は特に気温が低く、冷え切った外気と甘苦い煙が火照った頭を冷やしてくれた。しかし心地の良い一時は往々にして刹那的である。

まあ、一言で言うと、寒かった。

暖房の効いた部屋に戻ろうとした時、寒さに震える体に呼応したようにポケットの携帯電話が振動と共に安っぽいメロディを鳴らした。携帯電話、と言ってもいわゆるスマートフォンではなく折り畳み式のあれだ。懐古主義なわけではなく、ゲームに興じる趣味もなく、友人が少ない俺の用事を満たすにはこれで充分だっただけである。そんな寂しい俺に電話がかかってくる、これは経験則だが、大抵ろくなことではない。が、久しぶりの仕事だ、と言わんばかりに泣き喚くこれを放っておく訳にもいくまい。手元の煙草が灰を産み落とす前に潰し、ポケットに手を伸ばした。

 

 

お買い得

 

結論から言うと、今日という日は最悪だ。

俺は確かに「おしゃべりの好きな学生。出来れば女性の方がいい」と伝えた。電話口の旧友は流石、俺が遅咲きの桜を咲かそうなどと目論んでいるとは誤解せず、編集部のツテを辿ってくれると言った。しかし、約束の時間の少し前にインターホンを鳴らした人物は、どうだろう。軽やかなショートカットは豊作な小麦畑を思わせる色を保つためか、かなり傷んでいる。この世の全てを恨んでいるかのような鋭い双眸はこちらの視線から外れない。見ているだけで風邪をひきそうな制服のスカートの丈は、まさか校則に縛られてのことではないだろう。これでもかとへの字に曲げた口にくわえた煙草を落とし、ローファーで踏みつけるや否や言った。

「アンタが1時間の会話で1万くれるおっさん?」

言いたいことは山ほどあったが、真っ先に口をついて出たのはこの言葉だった。

「...俺はまだ二十代だ。」

 

「小説家の家だって聞いたからどんだけごちゃごちゃしてんだろうって思ったけど、案外キレイなんだね」

玄関先で名乗ってもらった日野 星子(ひの ほしこ)という文字列が、事前に聞いていた名前と一致してしまうとなると家にあげないわけにもいかない。当然来たるべくお客様の為片付けていたワンルームだったが、ごく普通の感想をもって締めくくられた。煙草やら発泡酒やらの匂いも年頃の学生は気になるだろうと消臭スプレーをあちこち撒いた甲斐もあったようだ。

「でもなんだろう...消臭剤臭い」

さいですか。

「それで?」

「それでって?」

「はあ?あたしは割のいいバイトだって聞いてるだけであとは何も聞いてないの。大体1時間1万円なんてのもウソ臭いし、ヒロ叔父さんの言う事だから一応信用して来たけど、まさかホントに会話するだけなわけないし、説明くらいあっても良いじゃん。言っとくけどあたし、せっかちな方じゃないから」

畳みかけの中で遠回しにのろまだと言われたような気もするがまあいいだろう。確かに傍から聞けば聞くほど怪しい仕事だ。

「いや、本当だよ。君はここで僕と会話をするだけでいい。」

そんな美味しい話があるのかと食って掛からんばかりにまた口を開こうとした彼女を手で制し、続けて言った。

「会話といっても何でも良いわけじゃない。小難しい話や哲学をしたければ他の知り合いを伝って教授や学者なんかと話をするさ。学生である君が呼ばれたということには意味がある。」

少しむっとした表情で、それでもきちんと話を聞く不良に内心愉快な感情を持ちつつあることに気付く。そして勿体つけるように言った。

 

「僕は、至極他愛無い話がしたい。」

「そ、れって、」

「そうだ。普通の学生がするような、学校生活において勉強が難しいとか、誰々が嫌いだとか、今こういうブランドが流行っているだとか、もっとどうでも良い話でもいい。放課後見かけた猫が可愛かったとか、今朝の占いが当たった外れた...」

「分かった!言いたいことは分かった、けどそんなただのおしゃべりに大金出して、正気?作家って皆そんなバカみたいなことしてるの?」

両手を大袈裟に振って話を遮ると、今しがた閉ざされた薄い唇をちぎれんばかりに歯に衣着せぬ物言いでまくしたてた。1時間1万円。確かに学生身分のみならず大金だ。俺もそう思っていたが、この数十分で気が変わった。

「正気だよ。僕らみたいな頭の固いおっさん達では思い浮かびもしないことを、君たちはスイスイ口に出す。それは僕が自身にいくら金をかけても得れないものだ。」

ヒロ叔父さん、いやかつての親友よ。疑ってすまなかった。この子は実に「お買い得」だったようだ。

 

「僕はアオノソラ、本名は青野 月次郎(あおの つきじろう)。これからよろしくね星子さん。」

ああ、心の底から破顔したのはいつぶりだろう! 第一印象を忘れ、今日一番の笑顔を見せた小説家。彼を前にあからさまに嫌そうな顔をした不良少女は心の中で自分の今日という日に結論付けた。

 ああ、もう、

「最悪だ。」